何も知らない

つれづれなるままに、ひぐらし、じゃなくてときどき、スマホにむかひて、そこはかとなくかきつくる。

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今日はとにかく自分の不運を嘆く日だった。

毎度毎度低気圧やらホルモンバランスやらのせいにして申し訳なさはあるが、私に嫌われたくなかったらもっとしっかりしてよね。

まあ都合がいいのが取り柄であるから、いつも通り良かったことに目を向けていこうと思う。

まず久しぶりに母と電話して、何やら明日急に松本にくることになった。人の金でリフレッシュさせてもらおうと思う(いつもありがとうございます)。

次に、私は教科書をまだ買っていないので課題が全然出来なかったのだが、先生がご厚意で教科書のデータをくれた。今は手に入りにくいから、ということらしい。本当に有難い。

 

 

 

高校生になって不登校になり始めたとき、私は自分を守るために人間でいることをやめた。AIの技術が発達しているいま、人間と機械を区別する基準が曖昧になっている......と私には若干中二病の後遺症があるので、だったらもしかしたら私は人間によく似せて作られた何かかもしれない、みたいなことを考えていた(というか今もそうだ)。だから何かができないのも仕方ない、100%に達しなくても60%でも充分すごい、みたいな感じで無理をしないで暮らせるようになった。

 

 

私のモットーというか、常に気をつけているのは「反省すれども後悔はせず」ということだ。過去にしたことは誰しも変えられないのだから、ただうじうじするのではなく再発防止に務めるべきだ、みたいな読めばわかる感じのシンプルなことだ。ただ少し難しくて、昨日せっかくイオン行ったんだから○○買っておけばよかっただのあのとき借りてたお金返し忘れたばかだ〜だのグチグチ言いそうになる。それは私の周りでもそうで、俗に言うメンヘラの何割かは常にこういう感じで生きていると感じたことがある。

 

管轄外って言葉知ってる?

冷たい言い方になるけど、過去なんてどうしようも無いんだから考えたって無駄。別に過去に限らず、自分の力が及ばないことについて「考える」だけで上手くいくなら誰も困らないよ。改善しようよ〜〜😆😆😆

 

とそいつには心の中で言う。

 

 

 

得てして私はポジティブに見せかけたネガティブなので、一種の諦めのようなものがあるかもしれない。確かに、センター試験前日に急に訳が分からなくなって先輩たちに「大学に行きたいか分かりません」とかLINEしてみたり(センシティブな時期の人にそんなこと相談されてもなんて返せば分からないよね、申し訳ないことをしました)、センターの点数良かったら大学に行く運命だってことだからがんばろう、みたいなことをしてたな。危機がせまると投げやりになるのか......

 

 

 

投げやりのやりってなんだろうね。やり投げ?